JOYRIDE BLOG

日々のいろいろ

1月7日という日

今日は1月7日。七草粥。食べてませんけどね。。

1/7は高校~大学時代とても仲良くしていた友人の誕生日でした。でした、と過去形なのは、もうその彼女はこの世にいないからです。昨年の7/24に腎不全で亡くなったのです。

 

彼女は高校時代から「血小板減少性紫斑病」という持病を持っていましたが、私の知っている高校・大学時代の彼女は生活に支障をきたすような感じは見受けられませんでした。アザが消えにくいとか、疲れやすいとかそういったことくらいしか知らなかったです。

 

社会人となり、会う機会が少なくなりましたが、たまに連絡が取れなくなると入院しているという事が多くなったような気がします。彼女は結婚はしておらず、入院中にお見舞いに行って会うという感じでした。ただ、私が長野に来てしまってからは、ほとんど会うこともなく、連絡も年賀状くらいのやり取りとなってしまってました。

 

一時期、軽い脳梗塞をおこし手が動かしづらくなったという話を聞いたことがあり、リハビリしていると本人と電話で話したこともありました。そして昨年の年賀状の字が見慣れた彼女の字でなく、お母さんと思われる字で「リハビリがんばってます」という言葉が書いてあり、また何かあったんだなと思い、昨年の誕生日1/7にメールを入れたのです。

 

その返事はすぐには来ず、携帯でメールを打つのも少し不自由で、といった内容で、また不自由をかけてもな、と思い、そのメールの返事は打たなかった覚えがあります。

 

そして7月中旬、共通の友人からかなり久しぶりに連絡がありました。普段、自分から連絡してくるような友人ではなかったので何事かと思ったら、その彼女の容体がかなり悪いというのです。

 

翌日、彼女をお見舞いに行った際にその子が私が電話をかけてくれ、病院にいる彼女に話しかけてほしいというので、電話口で「お盆休みに東京へ帰省するので、お見舞いに行くよ、会いに行くよ」と約束したのです。彼女の聞きなれた声は言葉ではなく「あー、あー」という返事のみ。でも私の投げかけた言葉に返事はしてくれてました。

 

これはちょっと尋常ではない容体の悪さなんだと、その時に感じ取り、実はここ数日が峠なのだと聞かされ、愕然とした翌日、彼女が亡くなったとの連絡を受け、泣き崩れました。

 

東京まで通夜にかけつけ、彼女の顔を見るともう何も言葉は出ず、泣くしかなかったです。亡くなる前日に電話で話したのに、会おうと約束したのに、、、それより、年明けにメールした後、連絡すればよかった、そして彼女に会いに行けば良かった、といろいろな後悔が込み上げてきました。

 

大学時代、携帯がまだ普及していない頃、毎晩のように長電話をして恋愛相談に乗ってもらったり、何度もスノーボードに一緒に行った友人です。とても綺麗な子なのにそれをハナにもかけない、お人好しなのんびり屋で、毎日ふざけ合って楽しんでいた、あの彼女は私たちと同じように歳を重ねていけないのです。あの頃は毎年、お互いの誕生日をお祝いし合ってたのに。。。これからも当たり前のようにいると思ってたのに。。。

 

私は1/11が誕生日なので、今年からは私だけが歳を重ねていきます。彼女はずっと同じ歳のまま。通夜での彼女の綺麗な寝顔が、今でも目に焼き付いています。1/7は七草粥、そして彼女の誕生日。毎年、忘れないと思います。お誕生日おめでとう!

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