裁判員
この記事は友達限定で少し前にFacebookにアップしたものですが、ブログにも一部修正して掲載します。
【私、裁判員やりました】
「裁判員裁判」この制度が始まってすでに10年?そろそろ10年?経過してるので、経験している人は世の中にはそれなりにいるはずです。選ばれる確率を調べたら8600人に1人という感じだそうです。私のまわりでは幼馴染のご主人がなったということを聞いたことがありましたが、それも数年前のことでしたので、この制度のことはすっかりあることすら忘れてました。。。
まず、年末くらいに、最高裁判所から通知が来て、裁判員の候補名簿に載りました、と連絡が来ました。このときは名簿に載るだけらしいから呼ばれるかどうかはわからない、と楽観してました。
すると初夏だったか、配達記録付きの郵便で、秋にある裁判の裁判員候補に選ばれたので裁判所に来てください、との通知が実際に来てしまったのです。
無職の身でしたし、乳幼児や介護者もいないので、辞退できる理由もなく、あまり経験できないことだからとりあえず行ってみるか、と何も考えずに行ってみたのはいいのですが、まさかその抽選で選ばれることになるとは・・・。
その時に来てた方は約30人くらいで、そのうち選ばれたのは8人でした。その後5日間。みっちり朝から夕方まで裁判所に出頭、、、
お務め中はまったく知らない人たち7人と裁判官との会話しかできない窓もない部屋に缶詰、ずーっと裁判の話しかできない状況、正直きつかったです。
私の立場は、補充裁判員②という最後の評決には参加できない補欠のようなものだったのですが、それに至るまでの行程はすべて裁判員と同じ職務でした。
どんな内容か細かく書くのは控えますが、殺人事件で重い内容でした。何事にも感情移入しすぎる私ですので、この事件の経緯や内容が切なすぎて心が疲れ果てました。法廷で裁判員が涙をこぼしてしまうとか、本当はしてはいけないことなんでしょうね。。。
おまけに裁判中は守秘義務があるので、裁判員をやっていることはもちろん、評議の内容は終わった今でも話すことができません。このオシャベリでスピーカーの私が話せないという、これまた非常に強いストレスを抱えた1週間でもありました。
裁判員をやることは、なかなか出来る経験ではないので、良い経験をした、裁判のことを詳しく知るきっかけになった、とは思いますが、私個人的にはもう裁判員はやりたくないかな。かなりの時間をかけて被告人の今後の人生を決めることに参加するってのも気持ち的に重いし、今回の事件以上にツライ・悲惨な案件も多いと聞きます。
これを読んでくれた方のもとにも、いつの日か裁判員の通知がくるかもしれません。裁判員経験者の中は、おもしろかった、またやってみたい、本当に良い経験ができた、と思ってる人も多くいると思います。
私にとってはキツイ内容でしたが、経験値が上がることは間違いないですし、基本的に断ることができない制度なので、ぜひやることになったら辞退することなく経験してみてください(^^;
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以上、長くなりましたが、裁判員をやった後は開かれた裁判、広報活動的な要素も踏まえ、評議内容以外のことは話してもらってもいいとのことで、今まで話せなかった反動も含め、経験談を広報しつつ、自分の記録のためにつらつらと書かせてもらいました。
画像は裁判所でもらった記念品のピンバッジです。